わが社について

わが社は、東京の郊外でハウスクリーニング業を始めて28年になります。その当時は、ハウスクリーニングというのは一般的ではなく、掃除をお金を払って頼むというようなことは気が引けるというような風潮でした。だから、最初はエアコンクリーニングや絨毯クリーニングというような特別な清掃が多くありました。そのうち、ダスキンがハウスクリーニングというものをテレビなどで宣伝して、一般的に認知されるようになってきたのです。 今回、このブログでは、今までの経験をもとに、ハウスクリーニングの独立開業についての考え方と心構えを書くことで、ハウスクリーニングを起業したい人の少しでも参考になればと考えています。

東京郊外の多摩地域は、もともとは畑や田んぼが散在するのどかな農村地帯でした。

政府は都心に人口が集中的に増えたことから、この丘陵地を東京のベットタウンとして、今から50年前、大規模な宅地開発を行い一気に人口が増えました。

交通インフラも整備されて、団地が建てられ街が形成されてくると、多くの大学も都心から広い敷地を求めて移転してきました。

大学が増えると学生が住むアパートも増えることになり、今まで農家をしていた人たちが畑をつぶして賃貸アパートを建てるようになったのです。

わが社は、もともとはビルメンテナンスの会社として創業していたのですが、地域の不動産会社や大学の求めに応じて、学生が住むワンルームマンションや学生寮の清掃を頼まれ、ハウスクリーニング会社として新たに部門を作りました。

その当時のハウスクリーニングといえば、裕福な家庭のカーペット洗浄とかエアコン清掃、レンジフード清掃といった特別な清掃が主な仕事だったのですが、学生が入れ替わる2月、3月、4月は、賃貸のワンルームマンションの清掃が一気に増えたのです。

部屋の入れ替えに伴い、汚れた部屋を新入居者のために新しく作り直すという仕事で、リフォームを含め一緒にハウスクリーニングをするのですが、在宅のクリーニングと区別して、空室クリーニングという言葉が生まれました。

わが社は現在、空室クリーニングから原状回復に伴うリフォーム工事などを含め、賃貸アパートやマンションの管理業として会社を運営しています。

空室クリーニングは、引越しと同時にリフォームと清掃を行うことから、日数が限られた期間で行います。

忙しい時期は、寝る暇もないほど働いたのですが、今では清掃業者さんも増えて、お客様さんも品質を求めるようになってきました。

さらに、仕事を求める業者さんにおいては、値段を下げることで仕事を請けようとしたり、業者下請けとして働いたりすると、どんなに忙しく働いても、時給単価にすると世間のアルバイト相場と同じぐらいにしかならないという現実になってしまいます。

ただ、働けばサラリーマンの給料以上は得ることはできるので、どのように仕事をするかという考え方がしっかりなければならなく、仕事が欲しいために安く仕事をもらうという考えでは、独立した意味がありません。

起業したばかりは仕事がないのは当たり前なことなので、この時期はしっかりと自分のスキルを磨いて、信用をつけてから営業活動を行うことで、地道に顧客を増やしていけば、年間を通してリピート客が付いて稼ぐことができます。

フランチャイズに加盟したから、独立開業したからというだけでは、食べていけるという保証はなく、経営に対するしっかりした考えを持つことが大事なことです。

経営はそんなに甘いものではないのですが、努力することで経験を積んでいけば必ず道が開けてきます。

このブログでは、ハウスクリーニング業者になるための心構えや考え方を通して、ハウスクリーニングはどのようなものかということを書いています。

独立開業して業者になったからには、働くことでお客様に感動を与えるような仕事をすることで、リピート客を増やしていけば、かならずハウスクリーニングで食べていけるようになることから、最初の心構えや考え方を間違わないようにしてください。

会社勤めから独立して自分が経営者となったからには、自分の手で道を切り開いていく覚悟で働けば必ず成功します。

独立したことで自由を手に入れたということは、すべては自分次第であって、責任を誰にも転嫁させることはできないということを肝に銘じて働けば、会社員時代に味わえなかった感動と喜びを味わうことができます。

人生は一度きりしかありません。

自分の道は自分で切り開くことが人間が生きるということですので、お掃除ビジネスを歩んでくれることを期待します。