おっちゃんはいつものように、行きつけの喫茶店でコーヒーを飲みながら新聞を読んでいました。
「タケル、ちょっと見てみな」
カウンターで仕込みをしていたタケルが顔を上げると、おっちゃんが険しい表情で新聞の紙面を向けた。
「71歳の男性が詐欺の受け子として逮捕されたというニュースが書かれている」
タケルは淹れたてのコーヒーカップを置くと、おっちゃんの方を見ると、
「受け子って、詐欺師の仲間ってことですよね。でも71歳って、おじいちゃんじゃないですか」
タケルは驚いように、おっちゃんに向かって言った。
「そうだ。しかもこの人、自分が犯罪に加担しているとは思っていなかった可能性が高い」
タケルは首をかしげた。
「それって、どういうことですか」
おっちゃんは、飲んでいたコーヒーカップをゆっくり置くと、タケルの顔をまっすぐ見た。
「老老詐欺という言葉を知っているか」
老老詐欺とは
「老々介護なら知っているけど、老老詐欺って高齢者が高齢者を騙すってことですか」
「逮捕された高齢者も、詐欺グループに騙されて利用されているだけなんだ」
タケルは少し考えてから聞き返した。
「つまり、騙す側も騙される側も、どっちも高齢者で被害者ってことですか」
「そういうことだ。詐欺グループはいつも安全な場所に隠れたまま、募集した人間を使い捨ての駒のように利用して、本当の悪人は絶対に表に出てこない」
おっちゃんは続けて言う。
「詐欺グループが高齢者を受け子として募集するのは理由があるんだ。まず年金暮らしで少しでも収入を得たいという切実な事情があるからな。そして、真面目でおとなしい高齢者ほど、なんでも言うことを聞く」
罠への入り口
「具体的にどうやって巻き込まれるんですか?」
タケルの質問に、おっちゃんは少し身を乗り出すと、
「最近ニュースでよく聞く闇バイトというやつは、XやインスタなどのSNSに、『シニアにもできる簡単な仕事、高収入』という募集記事を出すんだ」
「それって、普通のアルバイト募集じゃないですか」
タケルはため息をついた。
「それが、どうして闇バイトなんです?」
「時給が異常に高いんだ」
「いくらって書かれているんですか」
「5000円だ」
タケルは目を丸くした。
逃げられない罠——脅しと恐怖
「で、応募したらどうなるんです?」
「指定した場所に荷物を取りに行く仕事と説明される」
「荷物を運ぶだけで時給5000円って、絶対おかしいですよね」
応募すると、運転免許証かマイナンバーカードを写真に撮ってLINEで送ってほしいと言ってくる。
「個人情報を送らせるんですね」
「ああ、そうするのは、途中で逃げ出せなくするためだ」
おっちゃんはタケルをまっすぐ見た。
「冷静に考えれば怪しいと思うのが当然だけど、目の前においしい話をちらつかされると、人間は判断力が鈍ってしまうんだ」
「いくらなんでも、仕事の割合に時給が高すぎますよ」
「実際に仕事の当日になって、怪しいと気づいて断ろうとすると、それまで優しかった相手が突然豹変するんだ。断るなら違約金として50万円を即刻払えと言ってくる」
「そんなお金、払えないと言うとどうなるんですか」
「払えないと断ると、今からお前の家に若い者を向かわせるから」と、脅かしてくる。
「だから、面接する前に身分証明書を送るように言ってくるんですね」
おっちゃんは大きく頷くと、
「相手に住所や名前や写真まで送ってしまっていることから、こちらはそのことで頭が真っ白になって、言われるがままになってしまうんだ」
タケルは青ざめた顔をした。
「それは怖いですね。俺だったらどうすればいいかわからなくなってしまいます」
勇気を持って警察へ
おっちゃんはコーヒーを一口含むと、
「もし脅しに屈して一度でも言うことを聞いてしまうと、今度は、お前も立派な共犯者だから、家族にバラされたくなければこれからも言うことを聞けと一生ゆすられ続けることになるんだ」
「じゃあ、どうすればいいんです?」
「勇気を持って、最初に怪しいと思ったら警察に行くことだ。脅してきた相手に対してもきっぱりとこう言う。それなら警察に行きます。この通話も録音しているので、これを持って警察に相談に行きますと言うんだ」
「そうすると、相手は家に押しかけて来るんじゃないですか」
「詐欺師にとって一番恐ろしいのは警察に捕まることなんだ。今まで電話の連絡だけで、相手の顔など知らないことから、下手に動くことで警察に捕まるのは嫌なので、相手は一方的に電話を切ると、そこからは何もしてくることはない」
タケルは少しほっとした表情をした。
「じゃあ、警察に行けば助かるんですね」
「そうだ。ただし、一度でも相手の言いなりに仕事をしてしまうと話が変わってくる。だから最初の段階で気づくことと、その時点ですぐに警察に相談することが大事なんだ」
闇バイトを見破る四つのサイン
「しかし、普通のバイトと闇バイトをどうすれば見分けることができるんです?」
おっちゃんは指を立てながら答えた。
「四つのサインを覚えておけばいいんだ」

一つ目は、簡単なのに高額な報酬だ。
荷物を受け取るだけで時給5000円など、仕事内容と報酬が釣り合っていないものは100%裏に何かある。
二つ目は、LINEなどのSNSだけでやり取りしようとすることだ。
会社名や固定電話の番号を明かさず、顔も合わせないで面接と称して、全てLINEなどで連絡してくるのは詐欺師の常套手段だ。
三つ目は、身分証明書の写真を急かして送らせようとしてくることだ。
採用面接もしていない段階で免許証やマイナンバーカードの画像を送らせようとするのは、個人情報を送らせて、脅すための人質にしようとしているということだ。
四つ目は、仕事の目的が不自然なことだ。
他人の家で封筒を受け取る、自分の口座を貸すなど、普通の仕事では考えられない内容は詐欺グループの受け子や出し子の仕事だと思った方がいい。
タケルは神妙な顔で頷いた。
「この四つが一つでも当てはまったら、絶対に手を出してはいけない」
騙す側も騙される側も同じ被害者
おっちゃんは新聞をたたむと、
「タケル、今回逮捕された71歳の人もな、最初は、ちょっとした小遣い稼ぎのつもりだったはずだ。まさか自分が犯罪者になるとは夢にも思っていなかったと思う」
タケルは静かに頷いた。
「お金を奪われる人も、加担させられる人も、どっちも詐欺グループの被害者ということですね」
「そうだ。本当の悪人はいつも安全な場所に隠れたまま、実行犯は使い捨ての道具として利用している。それが闇バイト詐欺の最も許せない部分だ」
おっちゃんは続けた。
「もし怪しい話に出会ったら、絶対に一人で抱え込まないことだ。身分証明書を送る前に冷静になって、少しでもおかしいと思ったら警察の相談窓口である#9110に電話した方がいい」
タケルはエプロンのポケットからメモ帳を出すと、
「#9110、覚えておきます」
「なんだか、何も信じられない悲しい世の中になってしまったが、こういう罠があることを知っておくことが、自分を守る一番の力になるんだ」
タケルにおいて、おっちゃんが毎日ニュースを読み続ける理由が、少しわかったような気がする。
おっちゃんは、新聞やスマホなどのニュースを見ることで、世の中の動きと騙されないために情報を集めているということなんだ。
そして、高齢者を詐欺などから守るブログとして発信しているんだ。