その日のタケルは、カウンターでスマホを見ながら独り言のようにつぶやきました。
「また詐欺のニュースか……」
タケルはスマホを閉じると、何もなかったかのようにコーヒーを淹れる準備を始めました。
「どんなニュースが載っていたんだ?」
いつもの席に座ってコーヒーを飲んでいたおっちゃんが、タケルに声をかけます。
「60代の女性が1000万円騙し取られたって……。ロマンス詐欺らしいんですけど、なんか最近こういうニュースが多すぎて、正直あんまりピンとこないというか、慣れちゃいましたね」
おっちゃんはゆっくりコーヒーのカップを置くと、タケルをまっすぐ見つめて言いました。
「タケル、今お前が言ったことが、一番怖いことなんだぞ」
タケルは少し驚いたような顔をしました。
「え! 俺が言ったことがですか?」
「ああ。また詐欺のニュースかという感覚——その『慣れ』こそが、詐欺師が最も望んでいることなんだ」
「またか」という感覚が生まれる瞬間
タケルは、コーヒーを淹れる手を休めて、おっちゃんに質問しました。
「でもおっちゃん、毎日のように詐欺のニュースが流れてきたら、日常的になって驚かなくなるのは仕方ないことじゃないですか」
タケルが聞いてきたことに対して、おっちゃんは優しく説明します。
「確かにそうかもしれない。人間の脳は同じ刺激が続くと、やがてそれに慣れてしまうようにできている」
「じゃあ、仕方ないってことですよね」
おっちゃんは静かに頷きました。
「しかし、ここで大事なことは、詐欺のニュースを見て『またか』と思う瞬間、人は無意識に詐欺に対する心の防備を解いてしまうんだ。つまり、慣れることは無防備になることと同じなんだ」
タケルは、おっちゃんを見つめました。
「詐欺師が最も喜ぶのは、人間が無防備になった瞬間なんだ」
慣れることで失われるもの
おっちゃんは続けて言います。
「慣れることで失われる、もっと大事なものがある」
おっちゃんはコーヒーを一口飲んでから続けました。
「被害者への想像力だ」
タケルは黙って聞いていました。
「1000万円を騙し取られた60代の女性がいる。老後のために何十年もかけてコツコツ貯めたお金が、一瞬で消えてしまった。その人は今、どれほど絶望して、自分を責めているかということが想像できなくなる」
おっちゃんはタケルをまっすぐに見て言います。
「つまり、ニュースを読んで被害者の痛みを少しでも想像できる人は、詐欺を自分ごととして感じられる。だから警戒心が続き、自分が怪しいと感じる瞬間に立ち止まることができる」
タケルはスマホの画面を改めて見つめました。
「逆に言えば、『またか』と思った瞬間に、その想像力が消えてしまうと、自分には関係ない話になってしまい、詐欺の恐ろしさを想像できなくなってしまうんだ」
「言われてみれば、自分には関係ない話だと思っていたかもしれません」
「他人の痛みを想像できる人間は、詐欺にあいにくい。なぜなら常に『自分にも起きるかもしれない』という感覚を持ち続けていることができるからだ」
詐欺師が望んでいること
おっちゃんは真剣な声で言いました。
「詐欺師は、世間が詐欺ニュースに慣れて、みんなが当たり前のように詐欺についての警戒心が薄れることを一番望んでいるんだ。それに、詐欺のニュースに慣れることは、自分はこのような詐欺には引っかからないと慢心してしまうことにも原因がある」
「つまり、詐欺師にとっては、仕事がやりやすくなるということですか」
「その通りだ。みんなが『またか』と聞き流してくれれば、新しい手口が広まらず、被害に遭う人が警戒する機会も奪われる」
タケルは納得したように大きく頷きました。
「つまり、慣れることが詐欺師の思う壺ということですね」
詐欺に慣れてはいけない

おっちゃんはコーヒーカップを静かに置きながら言います。
「タケル、詐欺のニュースが毎日流れることは、世の中が安全になっていないということだ。それなのに話題にも上がらなくなれば、自分も気をつけなければという警戒心がなくなるのだ」
タケルは真剣な顔で頷きました。
おっちゃが言うには、詐欺のニュースを読むたびに、驚かなくなることは慣れじゃなく。心の麻痺ということだと言っているのです。
その麻痺が社会全体に蔓延すると、次の詐欺の被害者を生み出す土壌になっていくということです。
だから、詐欺のニュースを見るたびに、自分ごとのように騙された人のことを考えてほしいのは、その想像力が続く限り、詐欺に対する身を守る知恵が生まれるということになるからです。
タケルは、おっちゃんの話を黙って聞いていました。
60代の女性、1000万円、ロマンス詐欺——数字の向こうに、一人の人間がいるということを考えることが、自分も詐欺に合わないということの参考になるということです。
今日のおっちゃんの言葉は、タケルの心の中に静かに響いていました。
詐欺のニュースを他人事にしないために
毎日流れる詐欺のニュース。
見慣れてしまうことは仕方のないことかもしれません。
しかし一つだけ心がけてほしいことがあります。
ニュースの数字を見たとき、その向こうにいる一人の人間を少しだけ想像してみてください。
1000万円を失った60代の女性は、そのお金を何十年かけて貯めたのでしょうか。
その人は今夜、眠れているでしょうか。
家族にどう話したのでしょうか。
その想像ができる限り、詐欺は他人事ではなくなります。
他人事でない限り、警戒心は続きます。
警戒心が続く限り、あなたは詐欺師に狙われにくくなるのです。
「またか」と思いそうになったとき、ほんの一瞬だけ立ち止まってみてください。
その一瞬が、あなたを守る最大の知恵になるのです。