「このまま年金だけで生活できるだろうか」
物価が上がり、年金だけでは心もとないといった現実の中で「資産を少しでも増やしたい」という気持ちは、老後を安心して生きるためのごく自然な願いです。
しかし、こういった高齢者の願いを、詐欺師は冷酷に利用します。
警察庁によると2025年の全国の特殊詐欺被害額は1700億円と過去最悪を記録し、前年から約2倍に急増しています。
その被害者の約4割が60歳以上の高齢者であり、長年かけて積み上げてきた老後資金が奪われているのです。
70代男性Jさんの場合
Jさんは72歳、妻と二人暮らしです。
定年退職後、退職金と年金で生活していましたが、物価の上昇が続く中で、このままでは老後が心配だという気持ちが強くなってきました。
ある日、SNSで「投資初心者でも安心して始められる資産運用」という広告を目にしたことから悲劇が始まります。
「専任のコーチが隣でサポートします」という記事に目が止まり、Jさんも投資をやってみたいと思いから、投資を始めてみようと考えるようになったのです。
投資の知識がない自分でも、隣で専門家のコーチが教えてくれるなら安心かもしれないと、Jさんは早速その広告に書かれた番号に連絡を取ってみることにしました。
「隣にいる」という感覚が生み出す心理
「入会金10万円、1ヶ月のコーチ料金が1万円」という金額は、Jさんにとっては、けっして安いものではなかったのですが、老後の資産運用のためならとすぐに会員手続きをすることにしました。
そこで、紹介されたのが鈴木と名乗る人物で、登録と同時にすぐに連絡が来ました。
「Jさん、投資は難しくありません。私が隣でサポートしますから、一緒にやっていきましょう」
その後、LINEを通じて毎日のように連絡が来ました。
「今日の市場はこうなっています」「このタイミングで買うといいですよ」
鈴木とJさんは、LINEの画面を共有しながら、まるで本当に隣にコーチがいるかのように投資について丁寧に教えてくれます。
Jさんにとって、毎日のように投資についてのイロハを教えてくれる鈴木という人物に対して頼もしい存在として映りました。
毎日のように連絡が来て、一緒に作業して勉強するということは、深い信頼関係を作り上げていったのです。
「遠隔操作」という新しい罠
この詐欺が特に巧妙なのは、遠隔操作という技術を使うことです。
LINEのビデオ通話には、自分のスマホの画面を相手に見せる「画面共有機能」があります。
詐欺師はこれを利用し、「あなたの画面を見ながら教えますから、ここをタップして、次はここに数字を入れて」と、言葉巧みに操作を指示します。
自分で画面を見ながらやっているということから、画面の向こうですべて詐欺師が画面を見て指示しているのに関わらず、遠隔操作をされているという感覚はまったくなく、このことにより騙されているという認識を遠ざけているのです。
なぜコーチへの依存が生まれるのか
投資の知識がない人が「コーチに任せる」という状態になるのは、心理的に自然なことです。
わからないことを教えてくれる人への信頼感は、毎日連絡をくれることへの安心感と、投資についての成功体験といったことが重なると、人間は相手への依存を深めていってしまいます。
しかしこの依存こそが詐欺師の最大の目的です。
そんなある日、鈴木からこんな提案がありました。
「Jさん、LINEの画面越しだと見えにくい部分もあるので、もっと私が直接サポートできる便利なアプリを入れませんか? そうすれば、私がJさんの画面を見ながら、代わりに難しい設定をやってあげられますよ」
この言葉にJさんは、言われるがままに一つのアプリをスマートフォンにインストールしてしまいます。
実はこれが、恐るべき「遠隔操作アプリ」でした。
遠隔操作アプリ自体は、本来パソコンのサポートなどに使われる正規の便利なツールです。
しかし、詐欺師にそれを使わせる許可を与えてしまうと、自分のスマートフォンを、画面の向こうにいる見知らぬ他人に完全に明け渡したことになってしまうのです。
遠隔操作アプリを入れられた危険
「それでは、私がこちらで初期設定を済ませておきますね」
アプリを入れた直後、鈴木のその言葉とともに、Jさんのスマートフォンの画面が勝手に動き始めました。
アプリが次々と開かれ、画面がスクロールしていく様子を、Jさんはただ見つめていました。
「さすが専門家だ。自分には難しい操作を、全部代わりにやってくれている」
Jさんの目には、それが親切な『サポート』にしか見えていませんでした。
詐欺師の巧妙な罠
その後、何回か投資についてのレクチャーが続いた後、今が買い時の投資銘柄があるので、そこに投資してみませんかという鈴木からの提案です。
Jさんは、今までの投資についてのノウハウがあることから、銀行の定期に預けているよりも利回りなどを考えると、投資をやってみることにしました。
「Jさん、投資用の口座にお金を移すので、いつもの銀行アプリを開いて、暗証番号を入れてください」
鈴木にそう言われ、Jさんは何の疑いもなくパスワードを打ち込みました。
ここが遠隔操作の最も恐ろしいところです。
Jさんがパスワードを打ち込んでいるその瞬間、遠く離れた場所にいる詐欺師のパソコン画面にも、そのパスワードがハッキリと映し出されているのです。
目の前で消えていく老後資金
さらに、最近の銀行はセキュリティが厳しく、お金を振り込む際にはショートメール(SMS)で「ワンタイムパスワード(1回限りの暗証番号)」が送られてきます。
通常ならワンタイムパスワードは第三者には分からないはずですが、画面を丸ごと詐欺師に見られている状態では、銀行から届いた通知メッセージすら、詐欺師に筒抜けになってしまっていたのです。
「よし、これで設定は完了です。あとは利益が出るのを待つだけですよ」
鈴木の明るい声を聞いて、Jさんは安心しきっていました。
Jさんにしてみれば、「コーチと一緒に手続きをしている」という感覚しかありませんでしたが、現実には、パスワードを打ち込んだ瞬間、Jさんの口座は詐欺師の手に落ちてしまったのです。
Jさんが長年かけて貯めた退職金などは、鈴木の遠隔操作によって、あっという間に見知らぬ口座へと送金されてしまったということです。
投資を学ぶなら公式の場所で学ぶ
Jさんは、まんまと詐欺の罠にハマってしまいました。
老後資金のために投資を勉強すること自体は悪いことではありません。
しかしSNSなどの広告で有名人を語って学ぶセミナーなどは、今では最も危ないサイトであると言われています。
投資を学ぶならSNS広告やLINEグループではなく、証券会社や金融機関が開催するセミナーを利用することの方が安全です。
だからと言って投資においては、利益が出ることもあれば損をすることもあることから、投資に絶対に儲かるということはありません。
くれぐれも、投資については慎重な判断をするようにして下さい。
「私は大丈夫」という過信が最大の隙になる
今回のJさんが騙された手口は、巧妙に仕掛けられた罠であるために、このような投資話には近づかないということが、詐欺から身を守る防衛手段かもしれません。
現代の詐欺は、もはや「怪しい話を見抜く力」だけで防げるものではありません。
詐欺師は、人の心理を研究し、最新のテクノロジーを使いながら、私たちの心の隙を狙ってきます。
しかも、その入り口は脅しや恐怖ではなく、「親切なサポート」であることも少なくありません。
だからこそ、「自分は騙されない」という過信を持たないことが大切になってきます。
常に慎重にアンテナを張り巡らして、今回のように画面共有を求められたら断るということが大事なことです。
こうした詐欺の手口をあらかじめ知っておくことで、自分の資産を守ることにつながることから、詐欺に対する免疫を持っておくことが現代における防衛策になるのだと考えています。
投資詐欺にかからないためには、こうすれば防げるというものはないために、どれほど信頼している相手であっても、お金の管理や投資の判断は、第三者に任せてはいけないということを覚えておいて下さい。
その小さな慎重さが、老後の大切な資産を守る一番確実な方法になるのです。